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カルナック神殿 ルクソール エジプト旅行記6日目

エジプト旅行記 2017年
12月22日 カルナック神殿

カルナック神殿複合体のメインがアメン大神殿、他にムト、モンチュの神域等があるが、現在はアメン大神殿のみ公開。
古くから聖域とされていたようだが、アメン大神殿は第18王朝の時から建設されたらしい。その後の王達によって、壊されたり、書き換えられたり、古代エジプトの歴史を知る上で非常に興味をそそられる素晴らしい遺跡だ。

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写真1 メムノンの巨像 カルナック神殿に行く前に、ここに寄った。
アメンホテプ3世の像で高さ約18m。
写真2 カルナック神殿 見学可能なのは、このアメン大神殿のみ。
両側にスフィンクス(羊頭・ライオン胴体)がならぶ参道。
正面が第1塔門。

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写真3 第1中庭 奥が第2塔門
写真4 ピネジェム1世の巨像 となっているが、ラムセス2世の像を後にパクったらしい。

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写真5、6 巨大な列柱室

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写真7 6のアップ
するとよく分かるが、実はカラフルだった・・
実際ダビッド・ロバーツが発見した200年近く前は、カラフルな絵として描かれている。
写真8 トトメス1世とハトシェプストのオベリスク 高さ29.56メートル、重さは323トン

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写真9 倒れてしまったのか倒されたのか・・ハトシェプストのもう1つの折れたオベリスク
写真10 先端の所には、腰掛けた神アメンの前に座るハトシェプストが描かれている。
この時代のオベリスクで最も高いのが、高さ32.18m、重さ455トン、現存するオベリスクの中で最大のものなのだが、これはエジプトを支配したローマが、運び出してしまった。
現在は、イタリア・ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂前の広場に建っている。
今年6月にその近くに5泊して、毎日すぐ脇を通ったのだが、その時は、エジプトから持ち出されたものだとは気づかなかったので、残念ながら写真がない・・・

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写真11 アムン神とアマウネト女神らしい
写真12 スカラベ像の周りを3回まわると・・・

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写真13 聖池 儀式を行なう前に、神官たちが自身を清める場所

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ハトシェプスト女王葬祭殿 ルクソール エジプト旅行記6日目

エジプト旅行記 2017年
12月22日 ハトシェプスト女王葬祭殿

ハトシェプスト女王(新王国時代 第5代目ファラオ 在位怪訝前1478-1458) 古代エジプト初の女王
1961年~修復工事 続行中

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写真1 かなり広大でバックの岩山をうまく利用しているのが分かる。
写真2 3500年前のものにしてはデザインが素晴らしすぎる・・

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写真3 ごろんと転がっているが、拡大してみると分かるが、左の方に、人の顔が正面から描かれている。おそらくハトホル女神だろうが、エジプトでは、顔は横顔だ。
写真4 ハトホル女神

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写真5 入口にはたくさんの絵文字が・・
写真6 牛の姿をしたハトホル女神とハトシェプスト女王
分かりにくいので、大きなサイズでアップした。

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写真7 3階テラスにある王の立像
よく見ると顔が赤いのが分かる。もともとはけっこう色づいていたんだろうね。
写真8 岩窟至聖所門

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写真9 至聖所の前の部屋
写真10 9のアップ ハトシェプスト女王と息子のトトメス3世か?

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写真11 牛(ハトホル女神)に捧げ物をしているハトシェプスト女王か?
写真12 11のアップ 牛だねー・・

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写真13 エジプト統一 セマ・タウイの儀式:上エジプトの象徴ハスと下エジプトの象徴パピルスを結ぶ
写真14 葬祭殿から見た広大な景色

王家の谷 3 ルクソール エジプト旅行記6日目

エジプト旅行記 2017年
12月22日 王家の谷 その3 ルクソール
メルエンプタハ王とラムセス4世の墓

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写真1 メルエンプタハの墓 壁画
写真2 ミイラの入っていた石棺

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写真3 ラムセス4世の墓 ラー・ホルアクティ神とラムセス4世
写真4 通路

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写真5 玄室 石棺
写真6 壁画

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写真7 玄室 天井絵
写真8 7を左90℃回転後の下半分の絵

観てきたようにとても綺麗に残されているなぁ・・

王家の谷 2 ルクソール エジプト旅行記6日目

エジプト旅行記 2017年
12月22日 王家の谷 その2 ルクソール

ツタンカーメンとラムセス3世の墓
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写真1 ツタンカーメンの墓に入ったが、撮影禁止・・でこれだけ。
写真2 ラムセス3世の墓通路

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写真3 ここも壁画がよく保存されていてカラフルだ。右の黒い犬はアヌビスか。
写真4 

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写真5 
写真6 

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写真7 
写真8 ラーと対面しているのはメルエンプタハ王に見えるが・・

王家の谷 ルクソール エジプト旅行記6日目

エジプト旅行記 2017年
12月22日 王家の谷 ルクソール

古代エジプトの都・テーベのあったところ。
第11王朝(紀元前2134年頃 - 紀元前1991年頃)の時に、テーベを首都にして中王国時代が始まり繁栄。
新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された(wiki)。

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写真1 王家の谷入り口
写真2 全体マップ

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写真3 ラムセス9世の墓の中の壁画
写真4 右手に自分のミニチュア

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写真5 死んだ王を船で運んでいるのか?
写真6 何故か猿(ヒヒ)

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写真7 玄室の壁と天井絵
写真8 クヌム神と蛇
蛇がいろんなところに出てくる。

エドフ(ホルス)神殿 エジプト旅行記5日目

エジプト旅行記 2017年
12月21日 その4 エドフ(ホルス)神殿

プトレマイオス朝時代の紀元前237年から57年にかけて建造された、ハヤブサ神ホルスに捧げられた神殿。
長い間、砂漠の砂等に埋もれていたので保存状態が良く、「その壁にある碑文は、古代エジプトのギリシア・ローマ時代における言語、神話、宗教について重要な情報を提供」しているとのことだ(wiki)。

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写真1 塔門
写真2 入り口のアップ

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写真3 周柱式中庭
写真4 多柱室入口

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写真5 ホルス像
写真6 キリスト教徒によって焼かれた天井後

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写真7 至聖所(Sanctuary)
写真8 室内の壁にもビッシリ・・

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写真9 高く長い壁にもビッシリ
写真10 ホルスがセトを滅ぼす物語が描かれているらしいが・・

コム・オンボ神殿 エジプト旅行記5日目

エジプト旅行記 2017年
12月21日 その3 コム・オンボ神殿

プトレマイオス朝の時代(紀元前332-32年)に建設された。
右側は、豊穣の神(セベク神)に、左側は、ホルス・ハヤブサの神に捧げられたという、珍しい対称構造となっている。

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写真1 コム・オンボ神殿 2つの入口
写真2 前庭 太い柱が残っている

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写真3 柱は太く長い、「天井」も高い。
写真4 カラフルな絵(ハゲワシ?)

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写真5 医療についての講義(?)
写真6 5の拡大:妊婦の出差について書いてあるらしい・・

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写真7 左がホルス神
写真8 この井戸でナイル川の水位を測っていたようだ

イシス神殿 2 エジプト5日目

エジプト旅行記 2017年
12月21日 その2 イシス神殿(フィラエ神殿)

フィラエ島の現存するイシス神殿は、プトレマイオス朝時代に建てられたもの。といっても、ユネスコにより1980年にフィラエ島からアギルキア島に移築されたもので、島の形も変え、名前も変えてしまった・・

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写真1 神殿入り口
写真2 イシス神殿「前広場」

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写真3 イシス神殿 第1塔門
写真4 第2塔門

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写真5 柱に掘られた紋様
写真6 内部の壁にはビッシリ象形文字

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写真7 部屋の中もビッシリ書かれているが○×△・・
写真8 右から2人目の頭の上に丸いもの(太陽)を載せているのがイシス女神

イシス神殿 エジプト5日目

エジプト旅行記 2017年
12月21日 イシス神殿へ

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写真1 ホテルからナイル川を望む
写真2 アスワン・ハイ・ダム

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写真3 アスワン・ハイ・ダムの朝
写真4 この港から、神殿のあるフィラエ島まで船で行く

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写真5 小さなボートだが
写真6 中央の長いのがアスワン・ハイ・ダム

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写真7 ボートの中
ここはエジプト、さすがにしっかり屋根がある。
写真8 イシス神殿が見えてきた。

アブシンベル神殿 エジプト4日目

エジプト旅行記 2017年
12月20日 カイロからアスワン(飛行機) アスワンからアブシンベル(バス)

ラムセス2世が大神殿・太陽神ラー、小神殿・ハトホル女神を祭神として建造。
アスワン・ハイ・ダムの建設で、水没の危機にあったが、ユネスコの国際的救済活動により移築された。これをきっかけとして、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設されることになった、という象徴的な遺跡だ。

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写真1 砂漠の中をどこまでも続く道路
写真2 砂漠の中にあるレストラン

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写真3 アブシンベル小神殿
写真4 アブシンベル大神殿

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写真5 内部は撮影禁止で、入り口には2人の監視員がいる
写真6 外にも大きな象形文字が・・

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写真7 まるで海のようなナセル湖(ナイル川上流)
写真8 砂漠に沈む太陽